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旅行記といっても、ただただ遊びに行ったというわけではないので、
そこで見てきたことや聞いたこと、
伝えなければいけないことを、書き残していきます。
若干、カタい内容になってしまうことに関してはどうかご了承ください。
カクマに難民キャンプが生まれたのは1992年。
もう10年の月日が流れようとしています。
キャンプでは、スーダン人をはじめ、ソマリア人、エチオピア人、コンゴ人、ルワンダ人など、
多種多様な民族が生活をともに暮らしています。
その数およそ8万人。
人数だけでいったらケニアでも4番目くらいの人口規模の町になるそうです。
彼らはそれぞれの民族ごとに異なったコミュニティを形成しています。
それぞれのコミュニティごとに特色が現われるのは人種のるつぼといった感じで興味深く思えます。
もちろん、その境界線では常にいざこざや揉め事が絶えないようですが、
通常、みな平穏に生活を営んでいます。
そんなカクマ難民キャンプに大きな変化がありました。
キャンプ内の難民に配給される食糧の削減です。
難民の食料はWFP(国連世界食糧計画)によって配給されています。
WFPが提供しているのは、とうもろこし(スーダン人の主食であるウガリを作るのに必要)、豆、塩、油など
日常生活に最低限必要な食糧です。
しかし、その分量が近年、劇的に削減されつつあります。
現在供給されているのは、ひとりあたり、一日わずか1200キロカロリー分の食糧。
成人男性が一日を生きるために最低限必要なカロリーは2000キロカロリーだといわれてます。
この数字はそれにはるかに及びません。
キャンプで暮らす人々にとってはそれこそ死活問題です。
UNHCR(国連高等弁務官事務所)のコンパウンド(敷地)前には、
連日のように食糧の不足を訴える難民が集まっていました。
かつては一日に2100キロカロリー分の食糧を確保していたといいます。
それではなぜ、こうも削減されてしまったのでしょうか?
理由は実際よくわかりません。
ただ、難民キャンプも長期化するにつれて、次第に予算を削減していく方針にあるようです。
食糧を削られた難民たちはどのように生活しているかというと、
まず、コミュニティで助け合います。相互扶助です。
食糧は年齢や性別などに問わず、一律ひとりあたり同量の食糧が供給されています。
小さい子供が多ければ多いほど生活に余裕が生まれます。
持つものは持たないものに与えるというコミュニティの働きが大きな力を発揮しています。
これも、みな同じ戦争という体験を通して芽生えた共通の仲間意識がなせるわざでしょうか。
そして、働ける人は働きます。
各NGOは、優秀な難民を難民スタッフとして雇用し、わずかながらインセンティブ(報奨金)を与えています。
これを生活の糧にしている人は多いです。
また、商店を経営する人もいます。
難民キャンプには商店街があり、キャンプであると同時に、人口8万の街という側面ももっています。
商店街についてはまた後述しますが、
現状、キャンプで暮らす人々が、配給される食料だけに頼って自活していくことは不可能です。
そのため、人々は不足しているものを貨幣を媒介としてやり取りし、生活しています。
こういった現象を通して、商店街が発達し、貨幣経済が隅々まで浸透してきているというのが現状です。
食糧配給を行うフード・ディストリビューション・センターの様子です。
これがキャンプに暮らす人々の生活を支えます。