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小藪千豊がメインキャラクターの人生会議PRポスターが物議
厚生労働省が「人生会議」のPRを目的に作成したポスターに批判が殺到しています。
小藪千豊が酸素をつけてベッドに横たわり、人生の後悔を延々と
これが問題のポスターです。
吉本興業のお笑い芸人で座長も務める小藪千豊が病院のベッドで横になり、鼻には酸素のチューブをつけています。眉間にしわを寄せて何か言いたそうな、それでいて気味の悪い表情を浮かべています。左手を誰かがつかんでいますが、家族の設定なのでしょうか。
心電図モニターが中央に描かれ、小藪の左胸のあたりで止まっていることから、死を連想させます。また、全体的に青くて不気味な配色のポスターとなっています。
小藪が発したものののように書かれている部分を抜き出すと、このように書かれています。
まてまてまて
俺の人生ここで終わり?
大事なこと何にも伝えてなかったわ
それとおとん、俺が意識ないと思って
隣のベッドの人にずっと喋りかけてたけど
全然笑ってないやん。
声は聞こえてるねん。
はっず!
病院でおとんのすべった話聞くなら
家で嫁と子どもとゆっくりしときたかったわ
ほんまええ加減にしいや
あーあ、もっと早く言うといたら良かった!
こうなる前に、みんな
「人生会議」しとこ
人生会議ポスターより
臨終にあたり、このような最期を迎えることへの後悔を口にするという内容になっています。
文章の後半は病院ではなく自宅にいたかった、という思いを語っているというのはわかりますが、前半のくだりは正直よくわかりません。
基本的に悪趣味ですね。
このポスターに対して、批判が殺到し、厚生労働省はポスターの発送を中止しました。すでに1万4千部が印刷されていたようです。さらに、PR動画も作成していたようですが、それも公開中止になったようです。
的外れな批判も
中には的外れな批判も見受けられます。
問題のポスターは、お笑い芸人の小籔千豊(かずとよ)さんが病院着姿でベッドに横たわり、「人生会議しとこ」と呼びかける内容。25日に同省のホームページで公表すると、複数の団体から「苦しい治療を受ける患者の気持ちを傷つける」「死を連想させるデザインはナンセンス」と改善を求める要望書が届いた。
産経新聞より
「死を連想させるデザインはナンセンス」という批判があるようですが、別に死を連想させること自体は問題ないような気がします。むしろ、死について語ることもその一部には必要なのだとは思います。死がなければ人生会議は存在しないかも、いや、あったとしても意味は大きく異なるものになるでしょう。
問題は、本来意図しているメッセージが一切伝わっていないことなのではないでしょうか。
そもそも人生会議とは何か
ACP(アドバンスド・ケア・プランニング)
人生の最終段階での医療やケア・そして過ごし方などの方針について、誰が決めていすか?
家族という答えが圧倒的に多いのではないでしょうか。
最後を自宅で迎えたいか、病院で迎えたいかということについては話をすることがあっても、どこまでの治療を希望するのかなど、詳しく本人が家族と話をすることは少ないのが現状です。
2014年に厚生労働省が調査した[人生の最終段階における医療に関する意識調査]によると、「人生の最終段階の治療やケアについて家族と詳しく話し合ったことがある」と回答した人はおよそ3%しかいなかったというデータがあります。
詳しくはこの報告書を読んでみてください。
万が一の時に備えて、自分が受けたい医療やケアについて家族や信頼する人たちと話し合うことをアドバンスド・ケア・プランニング(ACP)といいます。
たとえ、自分の意志が伝えられなくなった時にも、そこで話し合った内容をもとに支援方針が決定されます。本人が望む生活を送る。本人の希望がかなえられるというだけでなく、家族にとっても重大な選択が迫られた時の責任を家族だけで抱え込まなくてよくなるので、大きな助けになるのです。
日本版ACPを「人生会議」と名付ける
日本でもこのACPを広めていこうと、日本版ACPを定着させる動きがありました。
日本版ACPの愛称を応募し、「人生会議」という名称が決定しました。
この名称についても様々な意見がありました。
「ざっくりしすぎてわかりにくい」「気軽に話ができないくらい重たい」といった批判もたくさんありました。
それでも、ロゴマークや普及リーフレットなども作成し、今回PRポスターやPR動画の作成を行っていました。
愛称選定委員のひとりだった小藪千豊をメインキャラクターにしたポスターが出来上がったというところです。
人生会議が目指すものは
どう死ぬか、よりもどう生きるか
大事なのは、どう死ぬか、ではなく、どう生きるかということなんだと思います。
いきなり最後の瞬間を見せられて、人生会議しとこ。では、死に場所をどうするか、どう死にたいか、というだけの普及啓発になってしまうのではないでしょうか。
実は、「死」に関しては日本人は非常に熱心です。
終活のセミナーに参加したり、エンディングノートを書いたり、自分の最後をプロデュースすることには強い関心があります。
でも、不思議なことに、それに至るまでのケアをどのように受けていきたいのかということに関してはあまり興味を持っていないのです。
終活をしながらも、予防への意識が低かったり、自分は認知症になることはないと心の中では信じ切っている人もたくさんいます。
大事なのは、どう死ぬかではなく、どう生きるかです。
ケアが必要になっても、どんなことができたら自分らしくいられるのか、どんな生き方であれば幸せなのか、それを話し合うことが必要なのではないでしょうか。
全部をすっ飛ばして、迎える死というピンポイントの点だけをとらえて、「人生会議」をPRするのはそもそも間違っています。
なぜこのようなポスターができてしまったのでしょうか
吉本興業に丸投げ状態
このPRポスター作製を含め、「人生会議」のPR事業については吉本興業に一括委託をしているということです。
吉本が提案し、それを部長と室長が了承し、外部の委員のチェックなどは入っていなかったようです。
反社会勢力とのつながりが問題視されている吉本興業。ポスターに対する批判の一部には吉本興業に対する批判も多分に含まれていたのではないでしょうか。
面白い面白くないかは個人の感覚になると思いますが、まあだいたいの人が見て面白いとは感じないでしょう。
というより、面白いうんぬんよりも、人生会議の意味がおそらく吉本興業側に伝わっていないままに丸投げ状態でやらせていたことを問題視すべきでしょう。
これに、どれだけの予算が費やされたのかと考えると腹立たしくなりますね。
ただでさえ、社会保障費はどんどん削られているっていう状況なのに。
これがPRになったのであれば・・・という考えも
ただ、当たり障りのないPRポスターを作ってもここまで関心を集めることはなかったでしょう。
炎上商法として、「人生会議」という名前を認知してもらう効果としてはあったのかもしれません。
ただ、「人生会議」をネガティブなものとして受け取られることが内容、本来人生会議が意味するものが何かをしっかり伝えていくことも必要です。
心ある介護業界に強いデザイナーさんたちが人生会議のPRなんかしてくれるといいんですけど。
ついでに、人生会議のロゴマークも見直してほしい。
なんでしょう、この適当にあてこんだ感満載のフォント。このやる気のなさ。
67点の応募作品の中からこれが決定したようなのですが、どうやって選定したのでしょう。センスの問題だけじゃないように思います。
追記:人生会議のPRはこれでお願いします。
ってか、これでいいじゃんって動画も紹介します。
ポスターもできてました。
いかに死ぬかを問うんじゃなくて、
いかに生きるかを語りつくそう。それが人生会議だもん。
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