前述した本を読んでて、こんなことが書いてありました。
福祉教育では「かわいそう」という気持ちはボランティア精神に反すると教えます。
ということから、「かわいそう」を否定する福祉教育への批判がつづられるわけです。
なるほど。
「かわいそう」というのは個人の感情の問題で、
素直に生まれたその感情に正しいも間違っているもくそもないわけですよね。
そういった自然でやさしい感情を殺してしまうことが、
こどもの考える力や感性を奪ってしまっているのかもしれません。
もちろん、実際かわいそうなのかそうでないかを決めるのは本人の問題なわけですけどね。
「感情」ではなく、「共感理解」で語られる福祉ですが、
結局、共感するといっても、どこまでいっても所詮は他人なわけで、
その人が何を欲しているのかを100%理解することなんてできないわけです。
特に、福祉教育の場で子供にそれを伝えたからといって、何の意味があるのでしょう。
それよりも、「かわいそうだから何かしてあげたい」という気持ちになることのほうが、
よりその人と近づけるし、理解なんてものはそこから生まれてくるもんなんでしょうね。
こどもには、何でもいいからやってもらえばいいし、
それをフォローするのが大人(職員)の役目なんですよね。
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