介護疲れ殺人に懲役6年。「朝から晩まで介護をして疲れ果てたわけではない」

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二宮の父親絞殺事件判決、介護者の孤立浮き彫り

 「介護疲れとはいえない」。廣瀬克己被告に対し、判決はそう指摘した。父の急激な症状悪化に「絶望した」という被告自身も、公判では「朝から晩まで介護をして、疲れ果てたわけではない」と供述した。だが、認知症で半身不随の父を自宅に残しながら仕事を続ける精神的負担は、どれほどだったのか。「動機は自己中心的で短絡的」とされた事件の背景に、孤立した介護者の実態が垣間見えた。
 判決や被告人質問などによると、被告は事件まで約15年間、父と2人暮らし。10年ほど前に父が脳梗塞で倒れてからは、介護をしながらの生活だった。
 認知症の症状が出始めたのは、昨年9月ごろ。転倒や失禁を繰り返し、要介護度は「要支援」から「要介護2」に。「介護がしやすいように」と、職場近くに引っ越した直後の12月には、失禁が毎日のようになるなど症状はさらに悪化した。
 週3日だったデイサービスの利用増をケアマネジャーに相談したこともあった。だが、思うようにいかず、諦めたという。友人に冗談交じりに介護の大変さをこぼしたこともあったが、具体的な相談は持ちかけなかった。引っ越し後、仕事中に1日おきにケアマネジャーから電話が入るようになり、精神的な負担が増したという。
 それでも「息子が父親の面倒を見るのは当然」と、一人で介護を続けた。事件前日、週に1度の休日は、失禁で汚れた父の布団の洗濯に費やされた。
 事件当日、布団から起き上がれない父を見た被告は、「昨日できたことができなくなった。仕事をしながらの介護は限界」と絶望感に襲われたという。判決では「身勝手」などと指弾され、被告自身も公判で「冷静になって周囲に相談すればよかった」と供述したが、事件直後には友人に「理想像から懸け離れる父を見たくなかった」と、老いていく父を受け入れられない心情を吐露している。
 「もしかしたら」。判決言い渡し後、被告の弁護人は、思いを巡らせた。「周囲が被告に積極的にアプローチしていれば、何か変わったかもしれない」

これまで、いわゆる「介護疲れ殺人」に対しては、比較的情状酌量がされてきた経緯があったかと思いますが、
この懲役6年という求刑通りの判決は重いように感じます。
その判決の理由として挙げられた、
「朝から晩まで介護をして、疲れ果てたわけではない」ということに関してですが、
被告人は介護しながら仕事を続けていました。
で、いまのこの社会情勢を考えて、
仕事を辞めら、そこから負のスパイラルから逃げられなくなると思うんですよね。
介護が必要だからと、仕事を辞めれば収入がなくなり、いずれ貯蓄も底をつき、
そうなったら利用したいサービスも利用できないし、
さらに介護が終わった後のその人の生活も成り立たないという状況が出てくるわけですから、
再就職などが難しい社会情勢を考えると、
仕事を辞めないということはとても大事なことだと考えています。
けれど、この判決における
「朝から晩まで介護をして、疲れ果てたわけではない」というのは、
仕事をやめて朝から晩まで介護に専念していたのであれば酌量の余地がある、
という印象にもとれます。
介護をしながら仕事を続けることのできる社会をつくることが理想なんでしょうけれど。

記事編集・監修

 

介護福祉ウェブ制作ウェルコネクト

居宅介護支援事業所管理者・地域包括支援センター職員・障碍者施設相談員など相談業務を行う。

現在はキャリアを生かした介護に関するライティングや介護業界に特化したウェブ制作業を行う。

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